我が家から渋滞無しで1時間ちょいでコオリナ到着。
東京の人が横浜行くような感覚かな。十分通える距離です。
おじゃましますです。
基本イヒラニ時代と同じ。
施工は熊谷組だったと記憶します。
当時はまさに猫手状態で、UHの建築の教授や学生達も借り出されてた。
日系新聞には連日「高給優遇・日本語堪能な設計士求む」って広告が出てた。
みんな授業そっちのけで、日本の企業に群がった。
ばぼーな時代は日本のゼネコンがぶいぶい言わせて、
ホノルルの某鮨屋のカウンター席も昼間から貸しきり状態で、
オーナーの板さん、めっさ儲けたって言ってた。
なんせ経費は会社持ちだけに、値段が釣り上がって仕方無かった。
が、その後ばぼーが弾け、ある日忽然と、みんな何処かに消えてしまった。
日本に戻ってもデスク無くて、行方知らずの人も多いって聞いた。
あら、つい昔話に戻ってしまうわ。(笑)
だって懐かしいんだもん。
ハワイの建築業界もその後は不遇な時代が長らく続き、建築家は仕事が無くなり、
メインランドに戻った友人家族も多かった。
不動産業界も淘汰され、廃業&消滅した会社も数知れず、ヤバイ話もゴロゴロ転がってた。
で、再び好景気に沸き、建設業界も猫手状態で、不動産屋さんらも俄然張り切りだした。
ほんま懲りない面々、時代は回る廻るよ~ぐるぐるっと。
(ダカラソロソロライネンアタリナンカアルヨーッ)
たっぷりゆったりseating area。
家具だけでよくココまで変えるよな~。(by相方)
かんふぉたぼーなオットマンなぞ。
一時期ハワイで流行った建築スタイルは、カパルア・リゾート等を彷彿。
FSを初め北米企業は$$の計算に長けているから、掛けるべき場所はけちらず、
押さえるべき処は押さえ、やり過ぎない程度にFSらしさを演出するのを忘れない。
そこら辺が日本の企業と異なるとこでしょか。あ、☆のさんは別だけど。
なんてえらそーな事言ってるけど、我々も今から思えば、結構やばかった。
若いだけに勢い持て余し、投資話に飛びつく寸前であった。
日本の某大手デヴェロッパーがらみのプロジェクトで大きく取り上げられていた。
が、たまたま途中で下りた。単なるラッキーだった。
その後2つの投資話はあっけなく闇に消え、日本オフィスも撤退した。
あのまま行ってたら、全て失っていたことだろう。ふーぎりぎりセーフだぜ。
若くて愚かで浅はかで小金と野心を持っていたら、カモの条件200%満たす。
面白い事に入れ替わり立ち代り様々な人が現れたが、一様に消え方は似ていた。
っつー事で二人にはそちら方面の才能ゼロであるのが早々に証明され、
周りがどんなに踊っている時でも「一切何もせず静観する」と言うのが我が家の掟となった。
私たちには、ダンスはウマク踊れません。(笑)
good luck & ALOHA!
それではお部屋に参りましょ。
<続>